肥満論
written byとぴあ

肥満の原因は約7割が生来の遺伝であるのが定説!ところがその肥満者を自己管理のできない怠け者だ云々と馬鹿にするのは、黒人を肌が黒いと蔑視するのと同様に社会的差別!確かに不健康な肥満は改善しなければならないけれど、それ以外で肥満者が不利益を蒙るのは概して社会的差別が存在するから!つまり太っていること自体が悪いのではなく、太っていることを醜いと感じ蔑視する社会的価値観こそが問題なのです!この社会的偏見があるから逆に健康を害してまでも痩せることに血眼になる愚かな女性が増加し、まんまとエステを太らせている!
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肥満のセオリー
モードとしての体型
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  2. 社会的価値観の反映としての体型
  3. 社会的価値観の反映としてのウェスト
  4. 通俗エコロジーと痩身志向的価値観
  5. ‘おデブ系の時代’
  6. 体型の3類型:スレンダー・グラマー・プランパー 
  7. キューバの境界線──顕わす身体/隠す身体
  8. なぜ女性は身体にこだわるのか?
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  3. そこヘン日本人2
  4. そこヘン日本人3
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  6. そこヘン日本人5
  7. Bカップの小学生──モリクミさんのこと
  8. ビックレディースクラブ
  9. 石ちゃんの初デート
  10. 食べ放題論
  11. 誇示的消費の欲望論
  12. ブス>デブの論理
  13. ムカつく女ども!?
  14. そんなに私が悪いのか!?
  15. ‘デブ’映画(男性編)
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  4. ‘からだ’にまつわるオノマトペ
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‘健康な身体’と‘美しい身体’──脂肪の視点

「体脂肪」には「皮下脂肪」と「内臓脂肪」があります。確かに、内臓脂肪は、まさに内臓の位置を固定させクッションのように内臓を保護する役割をするという有用性がありますが、成人病等を引き起こす有害物質を発生させる
(注1)ということもあり、`健康’のためには、この内臓脂肪を適切に減らすことが必要です。

従って、内臓脂肪を考慮しないで、もっぱら体重を減らすことを目的にして、体重計の目盛に一喜一憂するような‘ダイエット’は、ダイエットの基本的な考え、すなわち`健康’になるという目的に必ずしもそぐわない逆効果の行為になる場合もあります。

付言するなら、ダイエットの目的は必ずしも痩せることではなく、痩せ過ぎて`健康’を害しているのであれば、その人にとっては、肥ることが、ダイエットの目的にならなければならないということです。

要するに、ダイエットの基本は、‘健康な身体’を育むことです。

ただし、‘健康という幻想’
(注2)と、ルネ・デュボスが言ったように、個々人の、環境(広い意味での)への適応状況に応じて、個々人にとって何が‘健康’であるかは相対的なのだということは、十分に考慮されるべきでしょう。

ところで、皮下脂肪は、内臓脂肪に比べると相対的に、`健康’の面で害悪をもたらすことはそれ程ありません。

皮下脂肪が体に付いている量は個々人によって違いますが、その皮下脂肪の割合に対する評価は、主観的で良いと思います。いわば、‘美’的価値観の問題なのです。

例えば、男性が女性の体型を見る時にそれぞれ示す好みは、皮下脂肪の割合に依存していることが多々あります。‘がりがり’だとか`ほっそり’だとか‘ぽっちゃり’だとか‘でっぷり’だとかという‘美’的価値判断
(注3)は、皮下脂肪の程度に応じてなされているわけです。(注4)

従って、‘美しい身体’は、確かに,、単に皮下脂肪の程度に応じてだけで価値判断できるものではありませんが、しかし皮下脂肪の程度に応じて、多かれ少なかれ相対的に規定されているということは言えます。

勿論、‘健康’と同様に、‘美’を持ち出す時の政治性(権力性・差別性)は十分に考慮されるべきでしょう。安野モヨコ氏は、『脂肪という名の服を着て』
(注5)という漫画作品で、体につく皮下脂肪の量に応じて、‘スリム’な女性は支配的な立場に、そして‘デブ’な女性は従属的な立場に序列化され、支配従属の社会・権力関係が成立している現代日本社会の‘恋愛’シーン(注6)をリアルに描いています。

皮下脂肪の割合による‘美’的価値観に基づいて、人々の‘人格’までもがヒエラルヒー(価値序列)化され、現に社会的に差別されて不幸になっている人々がいるのは問題です。ここで僕が言いたいのは、‘痩身/肥満’と区別して人を識別するのはまだ良い。その区別を美/醜と価値判断するのも、各時代・各社会・各個人の嗜好の問題であり‘自由’です。しかし、その区別を人の‘全人格’にまで適用して、‘肥満者’を、公然とであれ隠然とであれ、‘でぶ’とレッテルを貼り、劣位に貶め、差別するのは不当だということです。

さらに言うなら、脂肪を一緒くたにして、内臓脂肪も皮下脂肪もすべて限りなくゼロに近づければ良いという考えが一般に支配的になっている日本社会の現状は、限りなく偏向しています。健康の観点から、内臓脂肪を減らすのはわかりますが、人それぞれに相対的な美的価値観に関る皮下脂肪までも限りなく減らし、骨と皮だけになった体型が一番‘美しい’というのは、どうみても偏向していると言わざるを得ません。

もっとも‘ダイエット’や‘エステ’のコマーシャリズム(商業主義)の立場からすると、これは最も都合の良い美的価値観です。‘脂肪’を極限まで搾り取れば取る程、お金を搾り取ることができるからです。‘生かさず殺さず’とはまさにこのことを言うのではないでしょうか?

逆に、いわゆる‘デブ専’の人の中には、男性にしろ女性にしろ、太っていればいる程そういう肥満した肉体に欲情するという人もいます。これに関連して、例えば、太っている女性が食べている姿に欲情する人もいるわけです。これらの‘マニア’と言われる人々の美的価値観を‘変態’扱いして一蹴(いっしゅう)するのは不当ですが、しかし、過剰な食物を与えられ、限りなく肥るように仕向けられる側の立場からすると、たまったものではありません。双方の同意の上だとしても、‘健康’の観点からすると問題があります。

事は単に、個人的な嗜好の問題ではありません。一方で、過剰な食欲が社会的につくり出され、大食いをさせて
(注7)、脂肪を目いっぱい人々の体につけさせ太らせるように煽った上で、他方で、脂肪がついて肥満していることは‘健康’に悪いし、‘美’的にも不細工だと、したり顔で諭し、禁欲させ絶食させ、極限までも脂肪をゼロにする減量ダイエット等を‘自主的’にするように仕向け、実は‘ダイエット’すればする程、太る体質にしてしまうという巧妙な手口、このダブルスタンダードな、マッチポンプのような社会のやり方によって、人々の身体がめちゃくちゃにされている現状は、どうしても打破されなければならないのです。

(注1)
肥満の内と外──パイの量
(注2)
「健康と幸福は、毎日の生活で出会う挑戦に対して反応し、さらに適応する個人的態度の現れである。そして、これらの挑戦は、物理的ならびに社会的な外界から生ずるものだけではない。病気の原因としていちばんありふれた環境の最も強力な因子は、生物学的な必要におかまいなしに、個人が自分のために設定した目標である場合が多い。そして、自然へ帰れと唱えただけでは、その問題に役立つことばとはいえないわけである。」ルネ・デュボス『健康という幻想』紀伊国屋書店(田多井吉之介訳)、21頁。
(注3)
‘からだ’にまつわるオノマトペ
(注4)
以前‘トレンディ俳優’と言われ‘不倫は文化だ’発言でワイドショーに話題を提供したことのある某男性俳優は、自分が好むタイプの女性は、‘体脂肪率25%以下’だと言っていました。具体的に彼が欲情するのは、‘鎖骨がきれな人’であり、‘鎖骨にむらむらくる’のだそうです。‘がりがり’というのとは違って、‘鎖骨にその女性の気品を感じる’のだと言っていました。「勝手に言ってろ!」て感じですね。
(注5)
安野モヨコ『脂肪という名の服を着て』 完全版 祥伝社 Feelコミックス
(注6)
なんつったって、ダイエットには恋愛が一番!
(注7)
食べ放題論

(2003.5.17初出)

ふくよかさの行方

グラマー体型
(注1)で、‘巨乳’がチャーミングポイントだと言われている、かたせ梨乃さんがご自分のダイエット体験について語っていました。(先週の日テレ『メレンゲの気持ち』)

彼女はいわゆる「有酸素運動」(ジョギング・エアロビクス等々)によってどんどん体重・体脂肪を減らしたそうです。しかしそこで困ったのは、自慢の巨乳までもが、びっくりする程小さく萎(しぼ)んでしまい、美容整形まで考えたのだそうです。

いわば「女らしさ」の特徴である「ふくよかさ」を表わす「皮下脂肪」が減ってしまったことで悩んでいたわけです。(注2)

そこで豊満な体型を回復維持するために彼女が対策として行ったのがダンベル体操だったそうです。これによって筋肉をつけることができたことで、巨乳を維持するのには効果があったと彼女は言っていました。 筋肉の上に皮下脂肪をつけることで、彼女の女らしいふくよかな体型が維持されたわけです。

ところで「女らしさ」=「ふくよかさ」であると言いましたが、「美」という漢字は、「羊」に「大」を加えた合意文字であり、「肥えた立派な羊」を「美」と見なしたことにより成立した文字です。すなわち古代の中国人にとっては「豊満」=「美」だったわけです。

現代においても例えばテレビにもよく出ているサンコンさんをはじめアフリカ人は特に「豊満」であればある程女性に魅力を感じるようです。モリクミさんからも、アラブの富豪からラクダ数十頭を貢ぎ物にして結婚を申し込まれたことがあったというエピソードを聞いたことがあります。

ひるがえって日本の現状を見てみると、ひたすら体重を減らすことが‘ダイエット’だと思い込まされて、飲まず食わずで骨と皮になってまでも体重が減ったことで大喜びしている女性が何と多いことでしょう。

これは一種のマインドコントロールの所産だと思いますが、いわゆる女性週刊誌の広告の3分の2が何らかの‘ダイエット’広告であることに驚かされます。テレビの通販やCMでも一日中そのような‘ダイエット’食品や器具やエステの宣伝が流されている影響によって、間違った‘ダイエット’の考え方が現代の日本に蔓延っていると断言して良いでしょう。

すなわち‘ダイエット’産業に関わるコマーシャリズム(商業主義=金儲け主義)が体重の‘ギャップ’
(注3)をことさら強調して社会を脅迫しているのが日本の社会的状況であるのではないでしょうか。

例えばその典型的なコマーシャルのキャッチコピーが現在TVのCMで流れている「あとちょっとの女」(エステ・キューズ)
(注4)でしょう。そのCMの中で「私、ブラジャーからお肉がはみ出すんです」と女性が悩んでいるのですが、そんな彼女には「おい、おい、それはあなたのバストにプラジャーが合っていないからじゃないの?」と声をかけたくなります。

しかしこの「あとちょっと」という‘ギャップ’はあくまでも「皮下脂肪」のレベルの問題であり、従って美意識の問題です。 ‘ダイエット・コマーシャリズム’に犯された女性達の理想は‘皮下脂肪ゼロ’という極端な美意識に陥っていると言えますが、その皮下脂肪や内臓脂肪どころか筋肉や内臓のお肉までも削ぎ落とすことで明らかに健康を害しているのに、体重が減ったと喜んでいる所がなお一層哀れで深刻な状況であるわけです。

ところが、わが「トピアの会(豊満美人友の会)」の男性会員の方の中には、「貴女のお腹のお肉が好きだ」という方々も多いのです。
(注5)

別稿で述べたように、どんな体型が好まれるかは社会や時代によって相対的です(注6)が、体型自体はその人それぞれの個性です。従って何人もその体型によって差別されることがあってはならないというのが当会の方針です。トピアの会(豊満美人友の会)は、「ふくよなか女性」の「美」に魅せられ思慕する同志の集う場所なのです。

(注1)
体型の3類型:スレンダー・グラマー・プランパー 」
(注2)
‘健康な身体’と`美しい身体’──脂肪の視点
(注3)
ギャップという強迫観念──減量主義ダイエット
(注4)
http://www.cuez.co.jp/cu-kokuchi.htm リンク切れ
(注5)
社会的価値観の反映としてのウェスト
体型の3類型:スレンダー・グラマー・プランパー
(注6)
社会的価値観の反映としての体型

(2000.07.01初出に加筆)

ダイエットという快楽

今週の『AERA』
(注1)に、タイトルに掲げた福光恵さんによる記事が載っています。副題「ヒトはなぜダイエットにはまってしまうの」という設問に対しては、‘生涯一ダイエッター’と言い切るフリーライターの萩原みよこさん(注2)の発言が一般の意見を要約していると思います。

「思春期の時、好きな男にブタと呼ばれたことが何よりつらくて。誰でもダイエットの原点は、そんなモテない気持ちにつきる。キレイ事じゃないんですよ。でもね、バンドやっている人と同じじゃないですか?最初はモテたい一心で始めたことでも、そのうち音楽を究めたくなるでしょ。オトメたちも男の目を意識してダイエットに励むうちに、いつのまにか向上心が芽生える。チャレンジャーになるんですよね」

確かに努力しても「正直者が馬鹿を見る」ような現代の日本社会にあって、努力する程その結果が体重減少という数字にはっきり表われるような‘達成感’が、終わることことのない‘ダイエット’を駆り立てる要因であることを、この雑誌の記事の中に登場している「エルセーヌ」の広告で有名になった高山あゆみさんやリストラ会社員だった某男性の発言にも見ることができます。

しかし‘ダイエット通’として知られているという放送作家の山田美保子さんが指摘しているように、様々な方法を次から次へと渡り歩く‘ダイエットショッピング’を繰り返す人々の心理は、もう一人の自分が‘大丈夫か?この女’と、どこか醒めた目で見ているにもかかわらず、お見合いを繰り返す人と同様、いつまでも「満たされないから続ける」というジレンマに陥ってしまっています。

言ってみれば、‘ダイエット中毒’ですね、これは!
(注3)

萩原さんも自嘲しながらこう言っています。「ダイエットは理性ではできません。目を覚ましてしまったら、これほどバカげた行為はないですよ。お菓子を食べるのをやめるためだけに、百二十万円エステに払ったりするわけですから。」
(注4)

因みにこの記事では、現在も‘ハイブリッド肉体改造法’のチューブを引っ張っているという萩原さんの「夢見がちに少女のまま、寝ぼけた頭でやるのがいいんですよね」という発言で締めくくっています。

しかしこんな意見に納得できるでしょうか。

この記事中でも紹介されている小学校からの汗と涙の自らの‘ダイエット経験’を綴った『ダイエット破り!』
(注5)の著者・夏目祭子(まつりこ)さんの発言こそ、より傾聴に値すると思います。

「減食系、運動系、エステ系……。十八年かけてやり尽くしました。でも結局はじわじわと小太りしていったんです。ダイエットは一種の飢餓状態。脂肪を蓄えて、やせにくい体質を作るためのトレーニングなんですよ。事実、ダイエットをやめたらみるみるやせていった。人為的コントロールより、体の正直な声を聞いてやる方がやせやすくなるんです。」

(注1)
『AERA』2000.7.17号P.35〜39。
(注2)
萩原みよこ『どんどんヤセグセがつく本──絶対ヤセる・100通り超ダイエット法』ワニマガジン社
(注3)
「太ってブサイクで生きるぐらいなら、死んだ方がましだ」という発想の人がいます。次は、匿名掲示板2ちゃんねるの「不健康で過激なダイエットをしたい人」と題するスレットにおけるスレ立て人の発言ですが、このスレへはレスが継続的に付いて伸び続けています。

「不健康だろうが、糖新生しようが、基礎代謝が低下しようが、 肌ボロボロになろうが、髪の毛抜けようが、老人並の骨密度になろうが、 リバ体質になろうが、メンヘルになろうが、免疫低下しようが、 生理が上がろうが、街でぶっ倒れようが、老化が早く来ようが、 入院しようが、死相が出ようが、短命に終わろうが、大きなお世話。 とにかく痩せりゃなんでもいーの!! 」
(注4)
痩せるなら、死んでもいい!?──危険な‘やせ薬’
(注5)
夏目祭子『ダイエット破り』河出書房新社

(2000.07.10初出に加筆)


根性主義ダイエット

TBSの『ガチンコ!』(火曜日)の「ダイエット学院レディース」は、まさに人権侵害の番組だと感じました。あの番組(男性版女性版共)は一見「努力する者は報われる」という"正義"のイデオロギーを全面に押し出しているだけに却って非常に性質(たち)の悪いとんでもない害悪番組であると僕は感じました。しかし現代日本の体質をまさに凝縮する形で示した番組でもあり、論じる価値はあります。"デブ"という差別発言・人権侵害の発言がまかり通る現代の日本社会(特にテレビなどのマスコミ)の現状ついて、あの番組を叩き台にすれば議論は膨らむと思います。

ところで、昨日土曜日の昼のテレビ朝日の番組『特撮TV!ガブリンチョ』のコーナーで、あの‘巨乳グラビアアイドル’の桜庭あつこさんの、いわゆる‘ダイエット’体験を放送していました。何週か続いているらしく、来週が最終回になるらしいです。
(注1)

その‘ダイエット’というのも例によって、男性トレーナーが彼女に付き、ろくな食事も摂取させず、星飛馬よろしく、体にチューブを巻きつけ過激な運動をさせるといった根性ものに仕立て上げたワンパターンのものでした。

そもそも男性トレーナーが設定した目標というのが科学的な根拠のない、いい加減なものだと思いました。その目標とは、3ケ月で55kgから45kgに体重を10kg落とすというものでしたが、このような番組によって「ダイエット」とは体重を落とすことであるという間違った考えを一般に流布させることになるわけで、見ていて閉口しました。

スポーツ選手が訓練すれば、体脂肪が減り身体は締まりますが筋肉がつき必ずしも体重が落ちるとは限りません。例えば、現役の頃の千代の富士は、体重が120kgほどでしたが、体脂肪率は15%だったそうです。

それに桜庭さん自身、彼女の身長に比較した体重からすると‘肥満’しているとは言えません。いわゆる‘標準体重’
(注2)からするとむしろ理想的だと言えます。彼女の身長は162cm/体重52kgですが、そうすると基準値は20.9572です。「普通」が20〜24であり、20以下が「やせている」のですから、24〜26.5の「太り気味」よりも数値は「やせている」方に傾いています。(注3)

体質的にそうなのに、彼女の体重が減らないことで、鬼コーチは彼女を非難し悪態をつき、彼女自身も自分は‘ダメ人間’だと、目にくまをつくりながら泣きじゃくり、脂肪が落ちてげっそりし骨と皮になって、体重計の数字に一喜一憂している姿はまさに具の骨頂でした。

むしろ、「ガチンコ・ダイエット学院」で‘脱落者’と烙印を押されて去って行った女性こそ、まっとうな意見を述べていたと思います。彼女はこう言っていました。すなわち──

「なんで(他人の)あんたに期間を決められ(痩せ)なくちゃいけないわけ!?」と。

まさに体型は個性(個体差)であるのに、それを一律に合宿などして短期間に体重を強制的に減らすことが‘ダイエット’などというのはまったく間違っていると思いました。

しかし、あの番組で繰り広げられた馬鹿げた根性主義のダイエット合宿と同じように、日本の社会全般の他人の目が、暗黙の圧力で人々に痩せれることを強いている風潮を感じるにつけ、あの番組は社会の縮図なのだと感じた次第です。

(注1)
次回が最終回だと思わせて、その後何週も引っ張り倒し、彼女のダイエット体験は続きました。(加筆)
(注2)
標準体重= 体重(kg)/身長(m)/身長(m)
(注3)
因みに162cmで減量の達成目標として鬼コーチが設定した45kgだと17.1468の数値で、‘標準体重’を基準にすると「非常に痩せている」部類に入ります。


(2000.6.18初出に加筆)

ギャップという強迫観念──減量主義ダイエット

合宿し集団で過激な運動をして短期間に一気にひたすら体重を減らすことを目標にした勘違い‘ダイエット’を敢行しているTBSの番組「ガチンコ・ダイエット学院レディース」の後、同じ6月27日の夜の同じTBSの番組『ジャングルTVタモリの法則』で「見た目で大勝負!!」と題したゲームを放送していました。

それは‘ダイエット’に‘成功’して痩せたという女性を10人程登場させて、子供の頃の写真を判断材料にして、2つに分かれたチームがそれぞれ一人づつ女性を選出して、その体重の減った差(ギャップ)が大きい方を‘勝利者’とするというゲームでした。

同じタモリの番組でフジTVの『笑っていいとも!』でも、いわゆるBefore(以前)&After(以後)ということで、よく極端に太ったり痩せたりした人物(男女)を出演させ、そのギャップを競うという類のコンテストを現在放送しています。

エステの新聞チラシには、決まって、エステ前の太った暗い顔の本人とエステ後の痩せて明るく笑った顔の本人の写真が並んで掲載されていますよね。まさに前後の差(ギャップ)が激しい程、幸福であるかのように…。
(注1)

ところで‘ダイエット’絡みの番組で言えば、かつてTBSで放送された『恐怖の体重計』(確かこのようなタイトルだったと思う)という番組が特にユニークだったと思います。

見ていた方々も多かったのではないかと思いますが、肥満した女性を100人登場させ、世に喧伝されている‘ダイエット’法をそれぞれ一人づつに振り分け、その方法で1週間でどれだけ体重や体脂肪を減らすことが出来たかを競わせランキングするというものでした。

最終回まで見たわけではないので結果的にどの方法が一番になったかは判りませんが、「飲尿療法」が結構、体重/体脂肪を減らし1位を堅持していたことを覚えています。
(注2)その影響で周りの女性で随分「飲尿」をしていた人が増えたものです。(^^;)

この番組では、さすがに‘ダイエット’を単に「体重を減らす」ことであるとは見なしてはおらず、「体脂肪」を問題にしていたことは評価できました。

しかし、体重にしろ体脂肪にしろ、ことさらその減量主義的なダイエットによって差異=ギャップを強調しようとするのは、まず単純に見れば、例えばダイエット食品やダイエット法を説いた本の優位性を示して売上を上げるための金儲け=資本の論理が働いているからであり、さらにもっとうがった見方をするなら、ジャン・ボードリヤールが言う意味での「消費の論理」──すなわち、単に物をその使用価値において消費するのではなく、例えば‘9号の洋服が着られる私’といった意識のように、‘11号の洋服しか着られない太った他人’に差=ギャップをつけ優越感を抱くことでしか自己のアイデンティティーを確立できないとマインドコントロールされ思い込まされている人々がうごめく現代の日本のような消費社会に浸透している論理(注3)──が働いているからなのです。
(注4)

(注1)

これを見て、僕などの目から見ると、エステ前の本人の方が、かなり魅力的な豊満美人で、タイプな女性が多いです。それなのにエステ後の本人は、何でそんなに股間に隙間が出来るほど太腿を細くしないといかんのか?ヒップも何でそんな貧祖に肉を削いでしまうのか?と疑問に思うことがしばしばで、本当にもったいないことをエステはするものだと、常々思っております。
(注2)
確かに一見気持ち悪いのですが、ただしこの「飲尿療法」の考え方自体は理にかなったものだと思います。この方法は、朝起きた時の自分の‘一番絞り’の尿をゴックンするわけですが、そうすることによって、脳はまだ排泄するものが残っていると思い込み、なお一層身体の新陳代謝を促そうとするからです。
(注3)
ボードリアールは、特に「消費のもっとも美しい対象──肉体」という項目を設けて、いわゆる‘ダイエット’を啓蒙する『エル』誌など女性誌の言説を分析した上で、次のように説明しています。解る人は解るので、少し長いですが、引用しておきます。

「問題の本質は人間解放と自己完成の神秘的手段としてもてはやされているこの自己陶酔的な肉体への熱中が、実は同時に他人との競争に勝つという意味でも経済的にも有効な投資となっているという事実なのである。こうして『再び自分のものになった』肉体は、明らかに『資本主義』的目標に応じて投資される。肉体に投資されるのは、肉体に利潤を生ませるためである。この再所有された肉体は、主体の自立的な目的性に応じて投資されるのではなく、享楽と快楽主義的効率性の規範的原理によって、また管理された生産・消費社会のコードと規範に接合された道具性という制約条件に応じて投資されるのだ。要するに、肉体はひとつの資産として管理・整備され、社会的地位を表示するさまざまな記号の形式のひとつとして操作されるわけである。『自分の子どもをかわいがるように自分の肉体をかわいがる』といった女性は、こう付け加える。『わたしは美容院に通い始めました……あのことがあった後でわたしを見た人たちは前より幸せそうできれいになったといってくれました……』。肉体は、享受の道具および威信を示す指数としての役割を担わせられると投資=物神崇拝的労働(気づかいや執着)の対象となる。この種の労働は、人間解放という神話に包まれる傾向にあるが、労働力としての肉体の搾取よりはるかに疎外された労働だといってよいだろう。」(下線箇所は翻訳では傍点で強調──引用者『消費社会の神話と構造』紀伊国屋書店、191-192頁。)

(注4)

食べ放題論」、「誇示的消費の欲望論」参照。

(2000.6.29初出に加筆)
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