肥満論
written byとぴあ

肥満の原因は約7割が生来の遺伝であるのが定説!ところがその肥満者を自己管理のできない怠け者だ云々と馬鹿にするのは、黒人を肌が黒いと蔑視するのと同様に社会的差別!確かに不健康な肥満は改善しなければならないけれど、それ以外で肥満者が不利益を蒙るのは概して社会的差別が存在するから!つまり太っていること自体が悪いのではなく、太っていることを醜いと感じ蔑視する社会的価値観こそが問題なのです!この社会的偏見があるから逆に健康を害してまでも痩せることに血眼になる愚かな女性が増加し、まんまとエステを太らせている!
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肥満のセオリー
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  2. 社会的価値観の反映としての体型
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Bカップの小学生──モリクミさんのこと

今日の日テレの昼の番組の「メレンゲの気持ち」にモリクミ(森公美子)さんが出演していました。小学校の頃の写真が紹介されましたが、既に小5の時にはブラを着けていて胸が75〜80のBカップだったそうです。

その頃電車に子供料金で乗ろうとすると「そんなオッパイ大きい小学生いないべぇ」(彼女は仙台の旅館の娘さん)と駅員によく言われるものだから、それが嫌でその頃から大人料金で乗っていたそうです。

旅館を手伝っていても高校の修学旅行生には小学生だとは思われず、「お姐さん、仙台に楽しいとこありますか?」なんて聞かれて対応していた翌朝ランドセルをしょって出かける彼女を見て高校生が「ウッソ〜」と唖然としていたそう。

同じゲストだった鈴木史郎さんがシミジミと「しかし人間バストで判断するのはいかんですなぁ」とつぶやいたのに対して一同が一斉に同意しました(特に浅田美代子さんが強い口調で肯定していた!)が、特にバストが小さいことを気にしている水野久美さん(^^;)が興味津々で「かとうれいこさんもそうだったそうだけど、牛乳、たくさん飲んだ?」という質問に、よく飲んだと答えていました。

「夏休みに身長伸ばそうとして牛乳飲み過ぎて太っちゃった奴、沢山いましたよ」という彼女の発言にとっさに司会の久本さんが太った原因を尋ねると、牛乳だけでなくアメリカでの留学生活が原因だったという話。この辺の事情は有名ですが、彼女はアメリカ人で同棲していたスポーツ選手の恋人にせっせと料理を作ってあげて、運動でカロリーを消費する彼と同じ量を食べていたものだから、「ド〜ンと20kg太った」と言っていました。

でも太ったことに全然気付かなかったそうです。なぜなら「ちょっとキ・ツ・イ〜」という感じはあったけれど、アメリカには体が収まる大きなサイズの洋服が沢山あったから。(^^;)それに対して久本さんが「またアメリカのせいにする、お前は!」とキツイ、ツッコミ。。。

(2000.5.27初出)

ビックレディースクラブ

『ビッグ・レディース・クラブ(DYNAMIC MUSICAL SHOW)』
(注1)と題して、モリクミ(森公美子)さん、斉藤こず恵さん、カワイ麻弓さんなどの豊満女性シンガー(注2)がミュージカル公演をするに当たって、制作発表会(注3)が催されました。その時のインタビューです。

モリクミさんの冒頭のお言葉──

「まぁ、ダイエット、ダイエットと言われている時代ですが、皆様に美意識をもうちょっとグローバルに拡げて頂きたく、そういう意味も含めまして色々な意味で、楽しんで頂ける舞台だと思っております。」

Q:今回、乗り切るため、夏ヤセをしないためにどんな努力を?

モリクミ:
「外を歩かない!(グァハハハ…)なるべくクーラーの下にいる。クーラーの温度は18度と私は決めております。」

カワイ麻弓:
「まず起きたらコーラ!後、寝る前にまずコーラですね。」

Q:太って得したことは?

モリクミ:
「バーゲンなどありますと、Lサイズのバーゲン、か〜なり安く買うことができますね。売れ残りが多い。後、待ち合わせしても、必ず相手方から見つけられるという利点がありますので、私は人を探さなくても平気だということ。他に飛行機でエコノミーに座った時、さぁー、どうぞとビジネスクラスに通されたことがありますけれども、これは隣の席の方へ申し訳ないということで航空会社が気を配って頂いたんだと思います。(笑)」

斉藤こず恵:
「お酒でも食べ物でも、ちょっとワリカン勝ちしているかな?という感じでございます。(笑)」

カワイ麻弓:
「私はですね、まずすごくモテます!その一言につきますね。とりあえず狙った男の子の所に行って、囲っちゃえば(ジェスチャー付!)、抱きついちゃえば、もう自分のモノになるんですよ、不思議と?!」

モリクミ:
「それ、犯罪だと思う、半分!押さ込みって感じですよね。」

因みに、制作発表会の後の記者会見で、モリクミさんが「来年の2月位に結婚する」予定があるという発言をされ、スポーツ紙にその話題が昨日載りました。(注4)なにはともわれ、めでたいことです!

既に昨年8月に放送された日テレの「おしゃれカンケイ」という番組で、お付き合いしているという「普通のサラリーマン」がいるという発言をされていましたが、彼女の41歳の誕生日である7月22日に、なんと3.5カラットの指輪をプレゼントしたという「サラリーマン」氏は相当のお金持ち!?彼をゲットしたのも、普段からの合コン
(注5)の成果でしょうか(^^;)モリクミさんに言わせると「相当のマザコン」だそうです。

結婚式は‘地味婚’にしたいそうですが、彼女が「文金高島田」姿になったなら、ビッグ・レディース・クラブは、太刀持ちと露払いを従えた‘横綱の土俵入り’!?(^^;)

ところで、この制作発表会の前に、NHKのバラエティーショーにも出演していました。
(注6)

このショーにはマジックイルージョンのプリンセス天効さんも出演していましたが、米国の番組で人気が出た彼女のキャラクター人形が800万体も売れたという話題に対して、モリクミさんが「いいわね、私も作りたいわ」という言葉に、司会の小堺一機さんがすかさず「でもね、売り場で場所取りますから…」というツッコミ!

モリクミさんの他、カワイ麻弓さんと斉藤こず恵さんがモーニング娘。の「Loveマシーン」を歌いましたが、モー娘。に対抗して結成したという‘アイドルグループ’の名前は「バイキング娘。」でした。つまりモーニングサービスに対して、食べ放題のバイキング料理に因んで命名したとのこと(^^;)モリクミさん日く、「食べることが三度のメシよりも好きだから」。

そして特に楽しかったのは、歌いながら料理を作るオペラ・デ・クッキングでした。

♪やめて〜油は太るから♪
♪いいじゃな〜い、おいしくなるから♪
♪やめて〜それじゃ入れ過ぎ〜♪
♪いいのよ、食べるのは彼等〜♪

(辺見まりの曲「経験」の替え歌)

(注1)
ビッグ・レディース・クラブポスター
レビューの女王を夢見る元日劇の女優(森公美子)が幼馴染みの売れないシナリオライター(斎藤こず恵)とついでに数合わせのためにラーメン屋の店員(カワイ麻弓)を誘って3人でガールズグループコンテストに出場するためにがんばるという、歌あり踊りあり食事シーン満載のハイカロリー・ダイナ〜ミックミュージカル!

一般観劇者(マヤさん)の感想
(注2)
ビッグ・レディース・クラブの公表データ
・斉藤こず恵:32歳,80Kg,150cm
・森公美子 :41歳,108Kg,163cm
・カワイ麻弓:年齢非公開,120Kg,170cm
(注3)
ハイカロリーダイナミックミュージカルショー
「ビッグレディースクラブ」製作発表 7/31(月)

(注4)
森公美子「来年2月挙式」 宣言
(注5)
『いい男といい女が集まるレシピ』(合コン好きモリクミサさんの料理本)
サタム(サタディームービー):土曜映画鑑賞会
於:マイカル(東西線市川妙典)
主催:モリクミさんと合コン仲間(但し予定は未定)
(注6)
7月28日20:00〜20:45NHK総合
金曜オンステージ・いっきにパラダイス
他の主な出演者
モーニング娘。引田天功 浅田翔子 境野姉妹アザレアカルテット CAGR 小堺一機 司会・五木ひろし

(2000.6.6、8.1、8.2、8.4初出の4つを再構成)

石ちゃんの初デート

さっきまでWOWOWでやっていたサザンの茅ヶ崎ライブの余韻に浸っていたところですが、彼等の曲の「LOVE AFFAIR〜秘密のデート〜」よろしく、あの太目男性タレントの石ちゃん(石塚英彦)も現在奥さんである彼女と10年前に自分の地元の横浜で初デートする時、予めデートコースを考えたそうです。

因みに石ちゃんの奥さんは彼が売れなかった時からの大ファンで、胸に石ちゃんのオリジナルバッチをつけたお揃いのオーバーオールを着て客席に陣取り、どんなつまらないダジャレでも一人で大受けしていたのだそうです。

「桃の缶詰をください。応答(黄桃)願います。」(ワッハッハッワハッハッ)
「何だよこの道路、口の匂いがするな」「甲州(口臭)街道です」(ワッハッハッワハッハッ)

さて、石ちゃんが予め番号まで付けて考えたというデートコースはいわば当時の定番でした。

(1)まず横浜駅の西口に集合。
       ↓
(2)そこから市営バスに乗り桜木町まで行く。
       ↓
(3)降りたら開港資料館まで海岸通りを歩く。
       ↓
(4)氷川丸の船上のレストランで食事。
       ↓
(5)外人墓地で夕陽を眺める。

ところが実際には中華街でストップしてしまったのだそうです。お店でちゃんと食べる物は食べたのだけれど、その他に街を歩くと、例えばブタ饅とかゴマ団子とか「何か訳の判らないヤシの実にストロー刺してあるやつ」とかオプションが多すぎて、二人ともお腹一杯になって食には勝てず、予定していたデートコースを消化できなかったというお話でした。(^^;)

(8/20フジTV「ウチくる!?」より)

P.S.茅ヶ崎のKさん、テレビに映ってましたよ。(^^)v

(2000.8.21初出)

食べ放題論

そもそも‘食べ放題’という形式が始まったのはいつ頃からなのでしょうか?

基本的に日常食である場合、伝統的な和食は‘粗食’であり、現在では、ダイエット食として見直されています
(注1)が、戦中戦後の極端な食糧難に苦しんでいた頃の日本人は、文字通り飢餓に苦しみ、生存のためには、食べられるものだったらガツガツと胃袋に放り込んだものでした。(注2)

その後高度経済成長の時代を迎えます。戦後の復興のために、男性は家の外で‘モーレツ社員’として経済労働に従事し、女性は家の中で‘主婦’として家事労働に従事するという役回りを演じていましたが、その内、女性も‘パート’や正社員としてリクルートされるようになるにつれ、食事に手間をかけられなくなり、‘ファーストフード’(注3)や‘インスタント食品’が発達し、社会的需要を充足させるようになります。

この高度経済成長に伴う大量生産・大量消費の結果、いわゆる‘飽食の時代’を迎えます。そこに行けば何でも買えることをコンセプトにする品揃えが自慢のデパート(百貨店)の最上階のレストランで、たまの休日に食事をするというのが、当時の核家族にとっては贅沢でした(‘お子様ランチ’を注文するのが定番)。さらに大量販売の‘スーパー(マーケット)’が全国に広がり、郊外には外食産業の‘ファミ(リー)レス(トラン)’が出現し、全国の街角の隅々では、特に‘単身者’のために‘ほか(ほか)弁(当)’が売られ、夜中にも食欲が湧けばすぐに食物が手に入る24時間営業の‘コンビニ(エンスストアー)’(注4)や‘自(動)販(売)機’が行き渡ることになります。

勿論、本来人間の胃袋の容量や消化能力には限度があるのですから、‘大食い’
(注5)してしまえば、満腹感を通り超して食傷してしまうのは当然です。

しかし利潤をあくまでも追及しようとする資本の立場からすると、それでは困ります。そこで商品の価格を下げ、‘薄利多売’しようとするわけですが、それでも消費者の「欲求」には限度があります。
(注6)ここから‘売る’技術の重要性が認識され、大量生産し大量販売し大量消費させるために大量宣伝(マスコミ)が駆使されるようになります。

経済学者のガルブレイスは、著書『ゆたかな社会』において、こう述べています。

「欲望が宣伝や販売術や外交員の巧妙な手管によって合成されるという事実は、その欲望がそれほどさし迫ったものではないことを示している。本当に飢えている人は、食物の必要について聞かされる必要はない。(中略)不自由する物がなくて、何が不足しているのかわからないような人に対してのみ、宣伝は有効にはたらくのだ。このような状態にある人だけが説得に耳をかすのである。」
(注7)

確かに商品名を連呼すれば、それなりの販売実績を上げられるようです
(注8)が、しかし、そればかりでは人間の「欲望」を喚起することはできません。ガルブレイスは物質的貧困を克服した、いわゆる先進国において、大量生産を可能にする社会的需要を造り出すために、人々の欲望水準を大量広告などの人為的な作為によって引き上げられるのだと言っています。例えば「今年の‘流行色’はこれだ」ということが、もう2年前から決められているように、今や欲望水準が生産水準に依存する「依存効果」が作用しているわけです。(注9)

拡大する精神的窮乏感につけいって、すぐに商品を手に入れさせるものの、結果的に多額の支払いを強いる月賦(クレジット)販売や、‘薄利多売’の限界から逆転の発想をして、意図的に‘稀少価値’を創出して単価を上げようとする‘限定品’商法
(注10)や、その発展形として、それを持って見せびらかせば他人に差を付け優越感を抱けるような幻想(注11)を人々に与える特定商品の‘ブランド’化戦略なども、「依存効果」を上げるのに役立っています。

因みに‘ブランド商法’が‘限定品商法’の発展形であるというのは、例えばイタリアの一人の技術に長けた皮職人が一つの鞄を端正を込めて作るためには、一生涯かけても品数に限度がありますが、その職人の名前を一旦‘ブランド’化して付加価値を付与してしまえば、原材料費に比して高額な鞄を大量に生産し‘暴利多売’も可能になるという意味です。

食のジャンルの観点から言えば、小さな店を構えてそこでしか食べられない‘美味’を売り物にするラーメン屋やケーキ屋に行列が出来るのも、人々の精神的飢餓を喚起する‘限定品商法’の一種です。また‘グルメ’志向はまさに‘ブランド’志向の一種でもあります。

この食の分野においても、他の‘ブランド商品’の例にもれず偽物が横行しています。新潟の魚沼という特定の限定された地域でつくられている‘魚沼産コシヒカリ’は、まさに‘ブランド米’と呼ばれていますが、他の米を混ぜた偽物騒ぎがありました。‘松坂牛’と名前を偽って販売して詐欺で捕まった食肉業者もいて、社会問題になったのも周知の通りです。(注12)

安価でありながら時間を限定した‘食べ放題’は、‘薄利多売’の典型であり、‘ファーストフード’の亜種でもあるのですが、いわゆる有名ブランドのホテルで行われる‘食べ放題’のランチやディナーは、‘薄利多売’的な要素とともに、客寄せ効果を狙った‘ダミー商法’であり、長期的に利益を上げれば良いというホテル側の思惑があるのだと思います。

服部栄養専門学校の服部幸應校長は最近の事情をこう説明しています。

「ホテルなどの高級レストランに限られていた食べ放題が外食業界を席巻するようになったのは、バブル崩壊後のこの六、七年である。散財したくないけれどてっとり早く豪華な気分に浸りたい消費者と、客寄せの話題作り、かつ人件費を節約したい店側の思惑が一致した。」
(注13)

「私は食べ放題がキライだ」と実は逆説的なタイトルを付けて‘食べ放題’を論じている『AERA』誌の高橋淳子記者は、‘食べ放題’の実態を次のように箇条書にして分析しています。
(注14)

○ピンは一万円のディナーからキリは千円程度のランチまで、和洋中を問わず食べ放題はある。
○安ければ安いほど炭水化物の割合が増える。
○同様に油の使用量も増える。
○料理の味は総じて濃い。
○食べ残しの罰金、時間制限、コースをこなさないと好きなものを頼めないなど、せこいルールを設けているところが多い。

彼女が取材している帝国ホテル広報課小倉克平氏は、「正しく食べ放題」するには「冷たい料理、温かい料理、デザートの三回に分けて食べましょう」
(注15)と教示しています。

そして最後に屈折した心理も裏腹に、高橋記者は次のように‘食べ放題’を定義しています。

「食べ放題──それは、ふだんは見て見ぬふりをしている自分の浅ましさに正面から立ち向かわなければならぬ『戦場』。だから私は食べ放題が嫌いなのである。」
(注16)

ところで、次の言葉を読んで下さい。

「冷蔵庫に入っているものをぜんぶ食べてしまわないと気がすまないという時期がありました。そういう時は、さいしょにどれから食べようかと考えるんです。まずあまいものを食べて、次にからいものを食べて、さいごにまたあまいものを食べて、おしまいと。そういうふうに自分で考えて食べるんです。だいたい一時間くらいで食べつくしちゃいますね。すごい速さで。食べているあいだは、こんなに食べれてしあわせというかんじで。」(注17)

これは後に‘摂食障害’であったことを自認し、自らの‘過食’行為を述懐した、ある女性の言葉です。ただし、引用した過食行為は、両親から独立したい女性が、早く一人前の‘大人’になりたくて、進んで起こした行動だったそうです。後に自分の行為が、‘過食症’と言われているものだということを知りショックを受けたわけですが、その自認の前の時点では、「こんなに食べてしあわせ」という感情になっているわけです。

しかし、多くの人たちは、‘肥満恐怖’を抱きながら、一時の精神的な安定を図るために、泣きながら過食しているのです。

胃が破裂するくらい詰め込んで
泣きながら吐き出すの
消化されない生暖かいゲロが飛び散る
深夜のコンビニはわたしを吸い込んで離さなかった(注18)

(注1)

スローフードとしての粗食
(注2)
日本人には、いわゆる‘小太り遺伝子’を有している割合が高いそうです。戦前戦中戦後の貧しい日本の食糧難における飢餓状態の環境に適応して、省エネ型の遺伝子が形成されたと考えられますが、戦後、飽食の時代になり急激な環境の変化の状況にもかかわらず、依然としてこの遺伝子を持ち、かつ、「食べ物を残すのはもったいない」という社会化・内面化された道徳心とも相まって、‘小太り’になる日本人が多いようです。
(注3)
ハンバーガーのマクドナルドがそうですが、日本的な‘ファーストフード’としては、例えば立ち食いソバや牛丼屋や回転寿司があります。この場合、‘ファースト=fast’とは、注文してから食べ物が出てくるのが早いということと、仕事で時間がないために‘早食い’できる食べ物であるという意味があります。

なお現在、‘ファーストフード’に対して‘スローフード’を提唱する運動が起こっているのは周知の通りです。「通俗エコロジーと痩身志向的価値観
(注4)
漫才士のあべこもさんは、自分が太ったきっかけになったのは、田舎から東京に出て来て、コンビニでスナック菓子やお弁当を買い始めて、時間に関係なくのべつ食べ物を口に運んでいたからだと言っていました。コンビニが出来た時代と、いわゆる摂食障害としての過食症が報告され始めた時代が符合するという統計もあります。
(注5)
メルマガ2000.11.30でテレビ東京大食い選手権チャンピオンのプリンス小林さんの「大食いとは、生涯続けて行きたいスポーツです」という言葉を紹介していますが、‘大食い’も立派なスポーツになったのかと思った矢先、子供が真似をして死亡したことをきっかけにして、テレビなどのマスメディアに出ることはなくなったようです。

TVチャンピオン公式サイト
大食いワンダーランド
サル山フードファイト診断室
何でも体験レポート
(注6)
いわゆる‘バブル経済’破綻後の日本のデフレの経済不況状況において、安売りをして一時期売上を上げたのが日本マクドナルドでしたが、結局、業績不振を引き起こし、その不安定な営業方針の責任をとって創業者が経営から手を引いたのは、つい最近のことです。
(注7)
小池屋「スコーン」「ドンタコス」、NEC「バザールでござーる」などヒットCMを連発している佐藤雅彦氏も商品名連呼の手法を「広告の基本」だと認識しています。『AERA』'00.12.18号P.94
(注8)
ガルブレイス『ゆたかな社会』(第三版)岩波書店・鈴木鉄太郎訳.172頁。
(注9)
因みに、ガルブレイスに対して説得力のある批判をボードリアール(『消費社会の神話と構造』)が行っています。

1)ガルブレイスは、「『本物』のあるいは『人為的』欲求の充足という原則」に立って論を展開しているけれど、「消費者に固有な欲求の充足という点から見ても、やはりどこまでが『作為』かという境界線を引くことはできない」ということ。(邦訳、87頁)

2)「なぜ消費者が釣針に『食いつく』のか、なぜシステムの戦略に対して無防備なのかの説明」において、ガルブレイスが、「個人をシステムのまったく受動的な犠牲者として登場させざるをえなかった」のは、要するに、彼には「差異や地位等についての一切の社会学的考察」、「あらゆる欲求は記号と差異の客観的要求に従って再組織化されることになるという社会学的考察」が欠落しているからだということ。(邦訳、88-89頁)

3)ガルブレイスは、「意識的な主体を(物語の終りにハッピーエンドとして再登場させるために)常に前提とする」ので、彼は「自ら指摘した『システムの機能障害』を悪魔的な力──この場合は宣伝やPRや動機調査で武装したテクノストラクチュア──のせいにすることしかできない」。彼が理解していないのは、「個別に切り離された欲求は無に等しく、欲求のシステムのみが存在するのだということ」、「あるいはむしろ欲求は個人の水準での生産力の合理的システム化のより進歩した形態(その場合『消費』は生産の論理的かつ必然的中継地点となる)にほかならない」のだということ。(邦訳、89-91頁)

誇示的消費の欲望論」も参照。
(注10)
1)需要に応じた生産でも2)生産体制を維持するために需要を喚起する(依存効果)のでもなく、3)生産できるのに敢えて生産しないで‘稀少性’を捏造し、‘期待’を煽り、‘欲求不満’を募らせる‘窮乏化’によって、‘高まり続ける法則’に依存してしか生きられなくさせるということを、単に経済活動(例えば、オイルショック時のトイレットペーパー不足騒動とか‘限定品商法’)としてだけでなく、文明論的な展望の基に「稀少性の歴史」として把握し論及しようとしたのが、イバン・イリイチでした。とりあえず、I・イリイチ『生きる思想──反=教育/技術/生命』藤原書店参照。
(注11)
誇示的消費の欲望論」参照。イタリアンリアリズムの旗手であったビクトリオ・デ・シーカ監督の名作『自転車泥棒』において、貧しい父子がレストランで経験した屈辱は、まさに‘見せびらかし消費(誇示的消費)’による‘貧富の差’の実感でした。ぜひ、この映画の鑑賞をお勧めします!他に、「ギャップという強迫観念──減量主義ダイエット」も参照。
(注12)
「ブランド商品」を考える上で、ヴェブレンの次の言説は示唆的です。

「われわれがすぐれた品物を高く評価するのは、それがその品物の美しさの率直な評価であるよりももっとしばしば、そのすぐれた栄誉ある性質の評価であることが多い。」(前掲書、125頁)「品物の高価の刻印を是認する習慣にますますなれることにより、また美と名声とを混同する習慣をもつことによって、美しいが価値がない品物は、美しくないと考えられるようになる。」(前掲書、129頁)だから、「安かろう、悪かろう」という意識が拡がってしまうのであり、「安っぽい服を着ると人間まで安っぽくなる」と見なされてしまうわけです(前掲書150-151頁)。

(注13)

「私は食べ放題がキライだ──飽食ニッポンに咲いたあだ花」『AERA』'00.12.11号P.12
(注14)(注15)(注16)
同上、P.13
(注17)
浅野千恵『女はなぜやせようとするのか─摂食障害とジェンダー』勁草書房、79頁。
(注18)
─3時間─

上記をクリックして、ページを開き、典子さん(仮名)のすさまじい過食・嘔吐行為の一部始終を読んで見て下さい。確かに、ここには、覚せい剤中毒のような‘薬物依存症’と同じ行動様式が見られるわけで、‘過食症’は、‘食物依存症’として規定できると思います。

実際、極端な拒食により栄養失調で死んでしまう人ばかりか、極端な過食によって胃袋が破裂して死んでしまったり、血液中の電解物質のバランスの激変によりショック死する人もいるわけで、生命を救うための応急処置として、摂食障害の対症療法は必要です。

しかし、摂食障害はあくまでも何らかの原因の結果、噴出した止むに止まれぬ‘反応’なのであり、従って、元凶をつきとめ解決しなければ、そのような表出行為を禁止すればする程、ますます障害は悪化するということも認識しなければならないでしょう。

ただし、僕は、ここでいわゆる‘消費社会’において、人々の‘欲求’以上の過剰な‘欲望’が醸成されていることを指摘しましたが、‘消費社会’なるものが根本原因であり、摂食障害に喘ぐ人々が、その影響を単純な形で受動的に被った存在に過ぎないと短絡しているわけではありません。

摂食障害の臨床に関わった経験から、いわゆる‘神経性無食欲症’は、‘現代の隠喩’であると喝破し、‘フェミニズム’の立場から特に女性が置かれた社会的な状況とに関連させて、スージー・オーバックはこう述べています。

「女性の役割に対する矛盾に満ちた要請に何とか対応しようと試みて、彼女たちは本当に自分の身体を変容させるのである。」(スージー・オーバック『拒食症──女たちの誇り高い抗議と苦悩』新曜社、19頁。下線部は、邦訳では傍点で強調──引用者)

「このような心理学的症候群が、語られぬものの代弁者である。それは、限られた領域に閉じ込められた社会的役割という文脈の中の女性の反乱と和解の両面を表している。飽食の中の飢餓、欲望の否定、姿を消したいというあがきに対する見られたいという欲求──こういった無食欲症のキーとなる特徴──は、現代の隠喩である。」(同上、19頁。)

また、かつて‘強迫的食行動’に苦しんだにもかかわらず、自ら立ち直り、現在「ブレーキング・フリー・ワークショップ」を主宰するセラピストのジェニーン・ロスの説得力のある本質をついた言葉も、ここに引用しておきたいと思います。

「食べることは、生きることのメタファー(隠喩)です。また、愛することのメタファーでもあります。」(ジェニーン・ロス『食べすぎてしまう女たち──「愛」依存症』講談社、斎藤学訳、8頁。)

「ダイエットの効果がないのは、食べ物や体重が単なる症状であり、真の原因ではないからです。これほど多くの人々が、とくに空腹でもなくても食べ物を摂るのには理由があるのです。しかし、体重という手近で、文化的にも正当化された関心事があるために、私たちはその理由を深く考えることをしません。」(同上、9頁。)

「人間が食べることで自分自身を虐待するのは、彼ら自身が虐待を受けたからです。彼らは精神的外傷を負ったからではなく、精神的外傷を抑圧したから、自分を嫌悪する不幸な成人となったのです。」(同上、9頁。)

「過食は必ずしも、冷たくなったピッザと昨晩の残りのミートローフがあなたの口に入る順番を待ちわびているなかで、冷蔵庫の前に立ち、一方の手を野菜の鍋へ、もう一方の手をクッキーの箱に突っ込んでいる行為だけを意味しているわけではありません。過食とは一つの心の在り方、質的なものです。どのような症状を伴って現れようとも、その根本的原因を理解することが必要ですし、その原因のかなりの程度が解消されなければ、そのような症状が消えることはありません。過食というのは、食べるという行為やそれに伴う感情だけでなく、そのような行為に至るありとあらゆる瞬間、決断、感情のすべてのことでもあり、全体としての一つの症状なのです。いったん行為として現れると、その行為自体が問題となってしまいますが、最も注目すべきなのは全体の症状、つまり自分自身や自分の人間関係、過食開始前の食べ物に対する決断、感情、心の在り方が自分自身のために役立っていないという、症状全体なのです。結局、過食とは氷山の一角に過ぎないというわけです。」(ジェニーン・ロス『食べ過ぎることの意味──過食症からの解放』誠心書房、斎藤学監訳、佐藤美奈子訳、115-116頁。)

(2000.12.22初出に加筆)


誇示的消費の欲望論

経済人類学・消費社会論の先駆的業績となった『有閑階級の理論』
(注1)において、ヴェブレンは、「誇示的(見せびらかし)消費)」や「代行的消費」が人間の経済活動を強く動機付けていることを指摘して、こう述べています。

「価値ある品物の衒示的消費は、有閑紳士にたいする世間的名声の手段である。富がかれの手中に蓄積すると、他のものの助けがないかれ自身の努力だけでは、このようなやり方で、かれの富裕を十分に証明することに役立たない。そこで、貴重な贈物を送ったり、金のかかった饗宴や余興をあたえたりすることによって、友人や競争相手の助力をとり入れることがおこなわれる。(中略)ポトラッチ(贈物つきの宴会)や舞踏会のような金のかかった饗宴は、とくにこのような目的に役立つのに適している。接待の主人側が、それと比較してもらいたいとおもう競争相手は、このようなやり方で目的にたいする手段として役立つようにさせられる。かれは、かれの招待主のために代わりとなって消費すると同時に、かれの招待主が、ひとりだけでは、どうしようもないほどの、ありあまったよき品物を消費することの証人となり、またかれの招待主が、エティケットに練達していることの証人にもさせられるのである。」
(注2)

また、人間の消費行動の本質を自己顕示・社会的承認の獲得・優越性への欲望などに見出し経済学を覚醒させようとしているのがロジャー・メイソン
(注3)です。

他に、プロテスタンティズムの禁欲的倫理が資本主義成立の要因になったことを論証しようとしたM・ウェーバー
(注4)の向こうを張って、贅沢は姦通・畜妾・売買春と深く結びついているとして、「非合法的恋愛の合法的な子供である奢侈は、資本主義を生み落とすことになった」と主張したのが、ヴェルナー・ゾンバルトでした。(注5)

あるいは、D・リースマンの理論
(注6)を踏まえて、消費を単に(1)モノの機能的な使用や所有だけでも(2)個人や集団の単なる権威づけの機能でもなく、(3)コミュニケーションと交換のシステムとして、絶えず発せられ受け取られ再生される記号のコードとして、つまり言語活動として定義しているのはジャン・ボードリヤールです。(注7)彼は、物を消費するとはモノとしての記号を消費することであり、それは、いわば「社会関係の網の目を消費する」ことなのであり、その行為によって人々は社会的差異を顕示しているのだと説いています。

著作を多数翻訳し、ボードリヤールの、日本への紹介者の役割を担った今村仁司氏は、現代社会の‘消費’を次のように解説しています。

「現代の消費社会はどうなっているのでしょうか。私たちはもちろん必要便宜品を消費します。しかしそれだけでなく、『必要以上に』モノを消費します。『必要以上に』とは二重の意味をもちます。第一に、物質的に『必要以上に』ということで、これは過剰消費となります。第二に、モノの有用性を消費するだけでなく、有用性を付加された別の何かを消費することを意味します。現代の『消費物』のなかには、モノの有用性に付着した社会的観念が入りこんでいます。つまり、モノは単に必要便宜品(有用性)としてのモノではなく、いわばフィーリングが付着したモノであります。ボードリヤールにならっていいますと、現代の消費物(商品)は、モノ=記号(記号としてのモノ)なのです。卑近な例を挙げて申しますと、(中略)ベンツやヴォルボに乗るのは、性能がよいからというよりも、社会的ステータスを誇示するためです。(中略)例が示すことは、差異表示記号、地位表示記号としてのモノの働きであり、単なる差異というよりも差別化の論理です。現代の消費とは、要するに、社会的記号を消費することに重点があるのです。」
(注8)

一人では消費できない‘過剰消費’を他の取り巻き、例えば妻(最近では、‘セレブ’などと呼ばれて、マスコミでちやほやされていますよね)などに‘代行消費’させ、‘顕示的消費’をすることで社会的ステータス(地位)を誇示する‘有閑階級’の実態をヴィブレンは指摘しましたが、‘記号としのモノ’を消費する限り、その消費活動は物理的制限からは自由であり、資本の側は消費者の‘欲望’を限りなく喚起することができるようになるわけです。

ただし、D・リースマンが指摘したように、‘大衆消費社会’における、いわゆる‘一般大衆’の消費パターンは、‘他人指向的’でもあります。それは他人の羨望の視線を気にして、中庸を守り逸脱を回避しようする消費パターンをとるのですが、それによって、消費とは‘差異化行為’であることを、かえって示しているとも言えるでしょう。

「こんにちの消費者というのは、その潜在的個性の大部分を、消費者同盟の一員になることによって失いかけているようだ。かれの消費は一定限度内にかぎられている。それは目標追求の原理によるのではなく、まさに他人指向の原理によるものなのだ。あまりに多くを消費しすぎると、それは他人の羨望の的になるという危険が待ち受けている。また、そうかといってあまりに少なく消費しすぎると、かれが他人を羨望のまなざしで見なければならないようなような立場に追い込まれるというわけだ。」
(注9)

(注1)

『有閑階級の理論』
(注2)
同上、岩波文庫・小原敬士訳.76-77頁。
(注3)
『顕示的消費の経済学』
(注4)
『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』
(注5)
『恋愛と贅沢と資本主義』
(注6)
『孤独な群集』
『何のための豊かさ』
(注7)
『消費社会の神話と構造』
(注8)
「商品(消費社会)の記号論」『説き語り記号論』日本ブリタニカ、277-228頁。
(注9)
『孤独な群集』邦訳、69頁。

食べ放題論」および「ギャップという強迫観念──減量主義ダイエット」も参照して下さい。

(2003.5.12に再アップ)


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